Ryo HAMADA
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「記憶の回廊」>>
ギャラリーそわか(京都)
2001年3月27日〜4月1日
篠原 誠司(Gallery ART SPACE)

 展示室に入ると、左右と正面の壁面は、大小さまざまなサイズ(約40×26cm、36×26cm、22×15cm等の3種類に大別できる)で、色彩を強く感じさせる、主に長方形横長のカラーの平面作品計103点で覆われている。これらは、道路や街灯、電線、自動車等の街中の風景の他に、椅子に座る人物や窓際などの室内の光景、空に浮かぶ白い雲や斜光に赤く染まる空などを焦点を大きくぼかして撮影し、被写体の具体的な姿を極力判別しにくくした写真のカラーコピーをパネル張りした上から、半透明のメディウムによるコーティングを施してさらに画像を変質させたものであるが、画像はそれぞれのパネルの側面にも続いており、一点ずつの作品は、それ自体が一つの風景を象徴する存在となっているのである。また、これらの平面作品の隙間をぬうようにして、壁面には電話の部品やライターなどをやはり半透明の樹脂で固めた、6〜15cmほどの計13点のオブジェが点在している。
 どちらの作品も、素材となるもとの景色や物体の本来のイメ−ジは作者の作為によって強く打ち消され、それが現実の場にあるものではなく、記憶の中の存在であるようなぼんやりとした印象のものへと大きく変質させられているが、作者の日常の中のささやかな記憶の一つを表わすであろうこれらのオブジェ群がつくる空間は、展示の構成要素である一点ずつの作品が想起させるものとはまた異なった、新たな印象を感じさせる存在となっている。
例えば、会場を歩きながら壁面を眺めてゆく中で次々と目に飛び込んでくる色彩やイメ−ジは、私たちの意識の中でミックスされることで一つの統合されたイメ−ジを新たに生み出すが、作品をたどる順序を逆回りにしたり、会場を歩くスピードを早めたり遅くしたりするなど、展示壁面との相対の仕方を変えてみることで、私たちが作品から感じ取る印象は微妙に異なってくる。それは、対象に目の焦点が合わないことでさまざまな想像を呼び起こすオブジェがさらに複数集まることで、そこに新たなストーリーが生まれ、その組み合わせや並び方の違いによって、そうしたストーリーが別のものへと組み変わってゆくことが要因だと思われる。そして、作者の記憶やイメ−ジが無造作に次々と投げ出され、それを観客である私たちが自身の意識の中で自由に選んで拾い集めることで、観客一人一人の意識の中にそれぞれ異なる物語を発生させるというのが、浜田涼の作品がつくる空間の特質なのではないだろうか。






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