Statement |
ところが、大好きな母の顔が具体的にどういう構造なのかわからなかった。
小学生の頃、 「こんなことも“思い出”になるんだろうな」と思ったことをよく憶えている。
大学生の頃、 「自分が動くと景色も変わるんだなあ」と思ったことを、
大学を出て研究生だった夏休み、 往来のラバトの人たちは今日も日常生活を営んでいるのに、 旅していてはダメだと思ったのは、旅をしたから解ったことだった。
二十代の頃、 なんで自分は群衆になれないんだろう、
こんなことを何度も思い出しては反芻している。 誰にでも、引っ張り出しては仕舞い直すことを繰り返しているような思い出があるだろう。 その時の記録写真もないし、立証するすべはない。
日に焼けて色あせた古い写真を見て、 中学校の卒業アルバムなどを見ていると、 この子は私ではない。 でも私はこの頃の記憶や体験にも影響されながら生きているのだから、 自分の変わりように比べれば、友達なんて全然変わってないと思ってしまうのも、
三十代を過ぎてから、群衆になれるようになった。 それは、自意識の中心となる位置が(そういうものがあるのだとすればだが)当時と変わってきたからだと思う。 自分自身というものはそれほど重要でないと解ってきたからだとも思う。自虐的な意味ではなく。
最初、絵を描く資料集めに使っていたカメラが、いつの間にか制作に必須のものとなった。 資料集めにカメラを使う以前は、ちゃんとピントを合わせたスナップ写真を撮っていたものだが、 非日常、たとえば結婚式やお祭りや発表会などのハレのときは、それ自体が完結していて疑問の生じる余地はない。 だからあまり憶えていない。憶えていても、謎はない。印象的で当然だ、と言えるほどの印象の薄さだ。 それに比べてケである日常生活は、 とかく社会では、物事を鮮明に、明確にすることが求められる。 つまり物事は、鮮明でもなければ明確でもないと言うことだ。 それに関しては、この先もずっと変わらないだろう。 私が気になるのはまさにそのあたりだ。
世の中に「自分」はいっぱいいる。 じゃあ私はどうしたらいいのだろう? いやむしろみんなが自分だから共感できるのだろう。 共有ではなく、共感。 などとぐるぐると考えながらファインダーをのぞくのだけれど、 心は躍っていたりするが、頭の中は温度なく静まりかえっていたりする。 |
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